知覧武家屋敷群と薩摩武士

知覧武家屋敷群写真

知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷群 知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷群へ行くと、まずどの屋敷も道路から中の様子が見通しにくくなっている。一つ一つが小さな城という感じ。各屋敷の門の中に入ると曲がり角があり庭園につながっている。1600年の関ヶ原の戦いを経て徳川幕府がおこりその政策が「一国一城」というもので、薩摩は鶴丸城を城とし、その外城として知覧武家屋敷郡整備。整備したのは薩摩藩主継豊の三男、島津久峯。知覧:領主居館の御仮小屋を中心に麓の道路を区画整理し各屋敷を塁のよう防衛障壁にするよう工夫し、屋敷入り口には「折れ」と呼ばれる曲がり角が作れ守りを堅くした。各屋敷は当時の郷中の実力者数氏に屋敷を与え移り住ませた。これにより、政治的機能も強化された。 片道が700mあるので、ただの往復で1k半ありちょっとしたウォーキングコースにもなる。休憩所もところどころにある。

関ヶ原の戦いと知覧武士(薩摩武士)

関ヶ原の戦いで西軍の石田三成の前面に西軍として布陣した薩摩藩は戦いの際に徳川家康などの東軍の集中攻撃を受けながらも敵中の中央突破して薩摩へ逃れた。生き残って薩摩に逃れたのは義弘以下わずか50名程度(人数には諸説あり)。その時の敗戦を忘れないよう、当時薩摩で言い伝えられた掛け声のようなものが「チェスト関ヶ原」という言葉。1600年の関ヶ原の戦いに知覧からは、幼少であった領主佐多忠充の代わりに、佐多狩野介久朝が軍代となり島津義弘に従った。佐多狩野介久朝に従ったのは、佐多少左衛門久郷、佐多加左衛門久頼以下数十名久郷は斥候(偵察)として9月15日早朝、敵陣に近づきいたが、敵はこれを察知し鉄砲を打ち込み頸に被弾。久郷はそのまま偵察し帰陣。帰国して数年後、このときの弾が皮を破って出てきたとの記録がある。一方で、佐多氏はこのろ川辺(高田)へ左遷された記録もあるが、朝鮮出兵の際手柄をあげ、知覧に戻される約束もあったことから知覧から出兵したのかもしれない。数名生き残って帰って来た記録があり、うち一人は捕らわれ、捕虜となったが数年後帰国との記録もある。(関ヶ原の戦いでの薩摩武士の戦いぶりはNHK歴史秘話ヒストリア/2011年5月放送などでも紹介されている。)

軍事訓練「ひえもんとり」薩摩武士強さの秘訣

薩摩武士一人一人が強くなければなしえなかった戦いぶり。強さの秘訣は大きく分けて2つはある。一つは戦のサラブレットのお土地柄。武力の優れた地域で、独立心が強く、戦も強かった隼人民族の地であること。もう一つは、キレイ事では語れない軍事訓練「ひえもんとり」、日々の訓練や子供の頃からの武士としての考え方を叩き込む「にせ教育」があげられる。「ひえもんとり」は馬に乗せた死罪人の心臓を甲冑をつけ東軍西軍にわかれた軍団が奪い合う軍事訓練。刑を執行するというよりは「生きた罪人の生肝を奪いあう」実戦に近い軍事訓練。考えただけでもゾッとしますね。ちなみに罪人はある目印まで逃げ切れば無罪放免となる。軍律も厳しかったことでしょう。

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知覧武家屋敷群の地図

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知覧武家屋敷群営業ガイド
  • 知覧武家屋敷群営業時間 9:00~17:00
  • 知覧武家屋敷群休日 無休
  • 知覧武家屋敷群入園料
    大人:500円、小人:300円、30名以上団体割引あり。
  • 知覧武家屋敷群問合せ
    0993-58-7878
  • 知覧武家屋敷群市営駐車場
    普通車:50台(1時間200円) 大型バス20台(1時間500円)

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